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2009年06月16日
 動物の命名

つい先日の安田記念G1で「ウオッカ」が劇的な優勝を飾った。

普段競馬にはまったく関心がないのだが、この「ウオッカ」という名前が気になった。

昨年、偶然パリのロンシャン競馬場に出掛ける機会があって、凱旋門賞に挑んだ、今回の「ウオッカ」の騎手でもある武豊が騎乗する「メイショウサムスン」の走りを見る機会があった。

その時も、そもそも競走馬への命名はどうしてこんなに独特なのだろうと気になっていた。

その前に大人気だった「ディープインパクト」にしても、周りの犬や猫の名前とは明らかに違う。


我々は周りのものに対して、常にカテゴリーづけや分類、命名、そして普遍化、あるいは特殊化という位置付け作業を無意識的にやっている。

そして、レヴィ・ストロースが著書「野生の思考」で指摘したように、それを注意深く考察すれば私たちの無意識的な構造的分類の裏に潜む何かしらの意味が見えてくる。

競走馬と、家畜である牛や豚とは、その経済的意味からも割と似たカテゴリーにある。

競走馬も家畜も、人間生活の一角でいっしょに人間社会の一部を形成しているわけではない。

この点で、犬や猫等のペットとは明確な一線を引くことができる。

そして、人は農耕馬等を別にすれば、家畜に命名することはない。

家畜は基本的に個体を明確に識別する意味がないからだ。キャベツや大根に近いのである。

仮に「太郎」とか「花子」という名前を付けて生活の一角を共有してしまった豚や牛がいたとしたら、彼らを、野菜を扱うように屠殺場に「出荷」することが出来るだろうか。

私は学生時代、北海道の牧場でアルバイトをしたことがあるが、100頭近くいた乳牛の個体に名前を付けた例を知らない。全く不便はないのである。

一方、競走馬の方は個体としてはっきりと識別することが極めて重要である。

一頭ごとの特徴や才能を見出し、注意深く調教され、その能力を表したり、馬主の思いなどを盛り込んで命名される。

しかも、競馬という名の賭博行為に深く根ざした全く別の世界観に支配されていて、どこにも似たものがない独特のネーミングがされるものだ。

一度聞いたら忘れないユニークさも求められる。

私が「ウオッカ」という名前が気になったのは、あまり競走馬らしくない名称だったからだ。

ペットでも、特に犬の名前にもありそうである。

犬は、人間の生活サイクルにほぼ取り込まれているから、家族の一員として扱われる。

しかし、その命名は人間のそれに近いが、完全に人間の名前と同じというわけでもない。

どちらかというと、人間のニックネームに近いかもしれない。

どこか人間の名前を表すときのような正式ではない響きがある。

何故か、バタ臭いカタカナ名も多い。

名前を呼んでいるときに人の名前と間違うことがない工夫のようにも思われる。

確かに飼い主からみれば家族の一員には違いないのだが、微妙な区別感が感じられるのである。

「ショコラ」とか、「マロン」とか、「バニラ」、あるいは「さくら」とか「ベリー」なども犬らしいし、犬の名として、ある安定感がある。

私には、「ウオッカ」はどちらかといえば、そちらに近く感じられるのである。

一般的競走馬のネーミングよりは、距離感がより犬のそれに近い気がする。

そして、距離感でいえば、猫の名前はもっと人の身体に近づいてくる。

おそらくは生活の場が室内で、個体の大きさにもよるものと思われるが、何かの擬音だったり、ひらかな2文字や母音の繰り返し名も意外と多い。

「みみ」とか「ぴぴ」、あるいは「ノンたん」、「トンちゃん」とか「トンくん」という赤ん坊用語も多いのが特徴だ。

まったく同じ意味で「大五郎」とか「竜之介」という方向に大きく振れる場合もある。

人間の名前ではあるが、名前を呼ぶ場面のコンテクストから云って、人の名を呼んでいると間違われることは殆ど無いのが普通である。

小鳥の名前などもそうだが、小さくて、人間に頼り切って生きていながら生活スタイルのコンテクストそのものが、人間と距離がある場合、人の名前に近づく傾向がある気がする。

どこかで、人の生活とは交わらない距離を認識しているからかもしれない。

犬は、その意味で、生活のリズムが人間のそれとあまりにもシンクロしていて、人の名前は付けにくい。ニックネーム程度が安定するのだろう。

猫は、身体的には人に近づくし、大きさも小さいが、何となく人とは相容れない世界があって、仮に人の名を付けても混同は起こらないのかもしれない。微妙だ・・。

そもそも何故、人はペットに固有の名を付けるのだろうか。

たとえ、相手がその名前を認識しているとは限らない場合においてさえも・・。

そして、時代と共に、あるいは動物とのつきあい方が変化するにつれて、命名の距離感もまた違ってくるのだろうか。

人間が持つ構造認識の問題としても、長期的に見続けたいテーマではある。



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