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2009年10月23日
 君子豹変

「君子豹変」とは「大人虎変、君子豹変、小人面革」という易経の有名な一節からの引用である。

アカデミックな解釈は諸説あるらしいが、意味はおおよそ以下のような解釈が一般的といっていいだろう。

大人たる偉大な指導者は、虎が季節にあわせて毛皮を換えるように鮮やかに変化するもの。

また君子と呼ばれるようなすぐれた人物もまた、豹が見事に毛を生え変わらせるように、自分自身の考えや行いを瞬時に切り替えることができる。

それに引き替え、小人と呼ばれるような凡人は表面的には換えたように振る舞うが、本質はまるで変えられない。

どちらにしても、瞬時に判断し変化することそのものはいい方向で捉えていると解釈していいようだ。

そして、このうち、何故か「君子豹変」だけが四文字熟語のように普及した。


さて、民主党政権に変わって一ヶ月余、野党時代や、マニフェストに謳っていたことと変節してきたと最近云われることが増えた。

批判的には「変節」とも、「約束違反」とも呼ばれるが、一方で「君子豹変」と云われることもあるようだ。

君子豹変とは、「君子」であるからこそ「豹変」したという意味もあるが、逆に「豹変」したのだから、「君子」なのかもしれない、という見方にも受け取れる。

後者には若干シニカルな響きもあるが、概ね好意的ではある。


昔、フランスのミッテラン氏が野党社会党の時代、核兵器は絶対廃棄と主張して大統領選に挑み、見事当選した。

大統領就任後しばらくして、フランスは引き続き核兵器を保持すると明言して大騒ぎになったことがある。

記者会見で理由を追及されたとき、ミッテラン大統領は「大統領になってみると見方は変わる」と、堂々と言ってのけた。

権力の中枢とか、官僚のすごさとか云われるものの本質は何かというと、扱う「情報の量と質」と云っていい。

「質」とは、「人より先に知る」ことと言い換えてもいいかもしれない。

もとより、私は権力の中枢にいたことなどないが、権力の中枢と呼ばれる組織と短い期間ながらおつき合いした経験はある。

その時、この「質」のすごさに驚いたことはある。

霞ヶ関中枢にいる複数の要人とのミーティングはかなり事前にセットされるのが普通である。

あるとき、たまたまその日が交通ゼネストの予定と合致してしまったことがあった。

ずいぶん昔の話で、最近では「ゼネスト」と云っても意味の分からない若者もいるに違いない。

予定の一週間ほど前には、テレビ、新聞の報道はヒートアップし、その日の首都圏は完全に麻痺すると伝えられた。

要人複数とのスケジュール調整はそう簡単なことではないので、当然、日時変更の打診を行った。

その時、先方の担当は、「ちょっとだけお待ち下さい」と一旦電話を切った。

そして、数時間後の担当者からの電話では「このゼネストは回避されますので、予定はそのままにしておいて下さい。またこの件は絶対に口外しないで下さい」と強く念を押されたのである。

半信半疑のまま、当日の前夜に突入。テレビでは、会社に泊まり込む一般会社の社員用に貸し布団屋さんが大忙しである様子や、都心のビジネスホテルが満杯であることなどがかしましく報道されていたものである。

そして、その日の未明、労使交渉がギリギリで妥結し、ゼネストは回避された。

後で、ほかの中枢機関の消息通に聞いた話では、そもそも労使交渉は事前に落としどころが決まっていて、労働組合幹部たちは組合員に頑張りをみせるために徹夜での交渉を演出するものなのだという。

したがって、妥結は多くの場合、未明の始発時間前になる。

そして、中央官庁の中枢の連中にはその情報が事前に伝わるものだというのであった。

よく考えてみれば、同じ情報を掴んでいる者と、そうでない者との差は極めて大きい。

経済的損失、あるいはその気になれば得られる経済的メリットもすさまじいものがある。

権力の中枢とはそういうことなのだ、と痛感させられた。

例えば、事前申請が必要な様々な大型建設計画などは、当然何年も前から知るべきところには知らされる。

そもそも計画を立案する立場にいればずっと前に知ってしまうわけだから、その気になればインサイダー取引などやりたい放題である。

まあ、政権政党の議員はそうやって利を得てきたことも確かであるし、引き替えに天下り先をせっせと作ることに手を貸してきたことも事実である。


ただ、問題はそんな話ではなく、権力中枢に日々流入し、貯えられている情報は半端ではなくスゴイものがあるだろうということである。

野党時代には触れられなかったそれらの情報に接することになった「君子」が「豹変」せざるを得ない事態になることは想像に難くない。


さて、振り返って民間会社の経営中枢にだって、一般社員に比べればとんでもない量と質の情報が流通していることは確かである。

「豹変」を繰り返すわがリーダーが、「君子」故なのか、それとも単なる「優柔不断」なのか、にわかにには判断つきかねるところが、「小人」には辛いところである。




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2009年10月05日
 マル9

プロジェクトの内容によっては、海外の著名デザイナーにデザインを依頼したり、コンペに参加してもらうことがある。

コーポレートブランド・デザインを依頼する場合が多いので、そのブランドの意味を英語で丹念に説明しなければならない。

あるとき、イギリス人の高名なグラフィックデザイナーを大型サインの掲げてある現場へ案内するために、「東急」の電車に乗った。

彼は英文ブランド「TOKYU」に目をとめ、「どういう意味か?」と質問してきた。

都市名「TOKYO」に似ていることもあって、その意味に大きな興味を示したようだった。

ただ、私の英語力の乏しさを差し引いても、正確に説明するのはそう簡単ではないことを痛感した覚えがある。

説明にはこんな組立が必要だ。

まず、「TOKYU」の正式社名は日本語で「東京急行電鉄」ということ。意味を英語でいうと、「TOKYO EXPRESS Rail Way 」ということだ。

日本語では、長い名称を略して短く発音する習慣があり、会話の効率を高める。

「東京急行電鉄」も、もともとは「東京急行電気鉄道」の「電気鉄道」部分を略したものだ。

「鉄道」も、もとをただせば「鉄軌道」を略したものである。

同じ例でいえば「東レ=Toray」は「東洋レーヨン」を略したものであり、「テレフォンカード」は「テレカ」と略されたりする。

ただし、明確なルールがある分けではない。

で、「東京急行電鉄」は「東急電鉄」と呼ばれるようになったが、それでも長いので、いつの間にか「東急」と略されるようになった。

「東急」だけで、電鉄会社とその沿線までをも意味することができるのだ。

その音韻を英語で表すと「T」「O」「K」「Y」「U」と綴ることができる。

その「東急電鉄」がデパート等様々な事業を拡大し、グループとしての存在感が増してきたときに、グループアイデンティティの核ブランドとして「東急=TOKYU」を採用した。英語では「TOKYU Corporation」である。

したがって、正式社名「東京急行電鉄=TOKYO EXPRESS Rail Way」を含めた東急グループ全体が「東急=TOKYU」と呼ばれて今に至っている、といった説明である。

しかし、そのデザイナーは、日本語では長い名称を略して短く発音する習慣があるといった説明のあたりから、明らかに理解を越えてきた表情を見せ始め、「T」「O」「K」「Y」「U」の説明の頃には、すでに興味すら失っていることがはっきりと顔に表れていた。

その時、日本語におけるこの種の略称型のブランドの成り立ちを、この国に住んだことのない外国人に対して英語で説明することの難しさを肌で感じたものである。

むしろ、「日本放送協会」の「NHK」の方が、意味はともかくよほど説明は楽だし、理解も得られやすい。


先日、渋谷を歩いていたとき、「マル9」といういわばブランド化した呼称を耳にして、急にその難しさを思い出した。

「マル9」の解説は、おそらくは日本語でも難しい。

そもそも、この説明をどこから始める必要があるかによって説明の手間は大きく違う。

仮に「T」「O」「K」「Y」「U」までの話は理解されている相手だとしよう。

それでも、日本語では「10」つまり「TEN」は「JYU」とも「TOU」とも発音可能という説明は必須だ。

「1」「2」「3」「4」・・は「ICHI」「NI」「SAN」「SHI」・・とも、「HI」「FU」「MI」「YO」・・とも発音され、「10」は、前者の系列では「JYU」であり、後者の体系では「TOU」と呼ぶ。

時に「1」と「0」に分解して「ICHI」と「ZERO」ないし、その形から「MARU」とも発音できる、という説明は絶対に必要である。

そして「9」つまり「NINE」は「KYU」ないし「KU」と発音され、「KOKONOTSU」と発音される場合もある、という説明もこの場合必要だ。

このとき、事例として「0101」マークの「MARUI」の話でも付け加えようものなら、その説明だけでさらにややこしいことになりかねない。多分、分かりやすいたとえ話には決してならないだろう。

相手がこの「マル9」にとても興味のある、かつ忍耐強い人だとすれば、「東急」はじつはその音から「109」と表記が可能だという説明を理解させることが出来るかもしれない。

しかし、それは影の意味であって、実際には「ICHI MARU KYU」という呼称でブランド化されたという説明が必要だ。

そのブランドも、渋谷の若者の間ではさらに省略化が行われ、ついには「MARU KYU」と呼ばれるようになった。

ただし、それは単に会話上の略称であって、「ブランド」的な役割を担ってはいるが、正確には「ブランド」ではない、ということになるのである。

それを「マル9」の建物に沿って歩きながら、頭の中でつたない英語力を総動員してトライしてみた。

正直、頭がクラクラして、相手を説得する自信はない。

もっと単純だが、同じように例えば「日本=NIPPON」や「AOYAMA-DORIAVE.」や、あるいは「独立行政法人国立印刷局=Nippon Printing Bureau = The National Printing Bureau」などを英語できちんと解説することを試してみるといい。

問題は英語力にあるわけではないことが見えてくるに違いない。



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