文化人類学者で構造主義哲学の中核でもあったレビ・ストロース氏が、10月末に亡くなった。
満100歳であった。
1960年代末、私の学生時代には、パリ5月革命の先頭に立ったサルトルの実存主義を越える思想として、新鮮な響きを持って迎えられたものである。
私が専門としている企業のアイデンティティを探るなどという定性的作業は、文化人類学的なリサーチ手法の助けを借りずには、到底分析など出来ない。
いわば実務上の必要に迫られて、再度その著作に接することになったのは30歳を過ぎてからである。
各組織体にある固有の企業文化にも、注意深くその構造を探ってみると、閉ざされた社会に共通の人間の営みの普遍的構造があることが浮かび上がってくるものだ。
もちろん、体系だったリサーチ手法などといわずとも、企業の風土というものを直感的に探っていた例は以前からあったことも確かである。
例えば、VANの創業者で服飾デザイン界の草分けでもあった石津謙介氏と、ある企業のユニフォーム開発コンペの選定委員としてご一緒する機会があった。
その時、ユニフォームデザインを依頼されたとき、その企業の風土を知るもっとも手っ取り早い方法は、その会社の社員食堂に行って、カレーライス等のごく一般的なメニューを味わってみることだとおっしゃっていた。
おそらくは独自の経験と鋭い感性から、その組織の感受性や判断基準などがどこに現れるかを識っておられたのだと思う。
細かい手法はともかく、一見脈絡のない様々な神話や民話のストーリーを、ジグソウパズルのように組み合わせて俯瞰すると、 その社会をよりよく存続させる知恵の全体像が浮かび上がってくるという観察法は、実に示唆に富んでいた。
社員食堂のカレーライスは、そのジグソウパズルのピースの一つである。
応接室の花瓶の水の汚れや、トイレの掃除具合、あるいは工場の工具の整頓度合いなど、全体を俯瞰する視点と経験に導かれ、それらのピースの一つ一つは徐々に増えて行った。
節税対策としての利益の使い道や、貢献度評価の視点、失敗責任の取り方などのピースの集合が個々の文化の特徴と同時に、経済組織共通の価値観なども浮かび上がらせてくれた。
もちろん、企業の文化分析においては、レビ・ストロースの研究の緻密さや背景の知識の厚みにおいてははるかに劣る部分もあったし、時には構造人類学とは似て非なる浅薄な手法に頼ったことも否定は出来ない。
しかし、あらゆる組織文化には「構造がある」という見方こそ、レビ・ストロースから学んだものであった。
その構造を導き出してそれに名前を付け、変えて行くべき方向付けをし、シンボリックアウトプットに載せてコミュニケーションを図るという仕事が、私の役割だと心得てきたのである。
さて、今後はジーンズの「LEVI’S」ブランドを見るたびに、彼の親戚の英語読み苗字であったというたわいのないエピソードを思いおこすことになるのかもしれない。
あるいは、源氏物語の話題に触れるたびに、何故彼があれほど深く日本の古典を読みこむに至ったのかに思いを馳せることになるのかもしれない。
いずれにしろ、彼が思索し、発信を続けた20世紀という時代が彼の思想をどう構造的に位置付け、それに導かれた有形無形のアウトプットが歴史の構造によってどう評価されるのか、静かに見守ることになるのだろう。
無形のささやかなアウトプットの一つに、私が数十年をかけて取り組んできた作業も含まれていると密かに感じているのだから。
合掌。
