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本日2011年2月1日は、SHIFT HPの大幅更新初日である。
この機会に、日ごろ何気なく使ってきたSHIFT発の様々な文字情報発信メディアの使い分けを整理して見た。
多くのコンサルティングファームはおおよそ似たような発信体系で活動していると思われるので、この整理はそれなりに参考になる部分もあるに違いない。
とりあえず、大学での講義や一般的な講演会は除き、発信頻度が少なく、いわばヘビイデューティなメディアから順に整理してみた。
1:単行本の出版
オリジナルの書き下ろしで、これまで小田嶋孝司著で3冊(「シンボリック・アウトプット」「健識経営革命」「日の丸、君が代ってなに?」)の出版実績がある。
創業20年の割には少ないが、一応プレジデント社や毎日新聞社等の著名出版社から上梓している。昨今の出版界の厳しい事情を考慮すると、同じ姿勢で執筆する限りは今後の出版機会はますます希なものになりそうである。
日本デザイン学会編「デザイン事典」(共著)のような特殊な出版物もこのカテゴリーに入れておく。
2:論文集「ジェネラティビティ論」
SHIFTの基本理念「Generatelivity=次世代価値創造への積極的関与」をより深く考察するための基本的概念、たとえば「アイデンティティ」「シンボル」あるいは「コミュニケーション」等を整理した論文集である。
SHIFT HP の「ジェネラティビティ論」バナーからアクセスできる。
これまで「ac.」からのアクセスが多いが、英訳版も載せているため海外からのアクセスが非常に多いサイトでもある。
今後も、「デザイン」「アフォーダンス」等重要な概念について骨太な論考を続けてゆきたい。
3:雑誌寄稿/インタビュー
「一橋ビジネスレビュー」のような16000字を越す論文から、インタビューへの回答のまとめ記事まで形態はバラエティに富んでいる。掲載頻度も比較的多いメディアだ。
「Mac Fan」等、小田嶋太輔へのスマートフォンアプリやソーシャルネット系の記事依頼も増えており、SHIFT Lab.経由での取材も今後増加が見込まれる。
基本的には編集者側のテーマ設定や編集意図に沿って、研究事例や専門家としての考え方を紹介することをねらいとした発信体系だ。
編集者の目を通しているという点で、比較的客観性が担保されているとみなされる。
時代性と社会的信頼性を測る物差しという意味では大事なメディアである。
優良ストック住宅推進協議会編著「3つ星流通住宅」のような単行本内での専門家インタビューへの回答という形式での記載等も含まれる。
4:BLOG
SHIFT では、小田嶋孝司のBLOG 「Noemen est Numen:名づけることは知ること」と、小田嶋太輔のBLOG「SHIFT Lab.」の2つが公式BLOGである。
「Noemen est Numen:名づけることは知ること」は独立したサイトとしてHP上にバナーを貼り、オーソドックスな展開をしているが、「SHIFT Lab.」の方はHOME 自体がBLOGという形態だ。
刻々と変わるソーシャルメディア環境や、新技術進展のスピードをリードしようとする試みである。
内容もトーンも、また発信頻度もまったくランダムだが、更新頻度は少なくはない。
5:Twitter
等身大の個人としての感覚や感想を書き綴ったり、気楽にRTするツールとしてTwitterのアカウントもオープンしている。小田嶋孝司はTakashift、小田嶋太輔はodajimalex。
Takashiftのプロフィール欄には、SHIFT WEBとBLOGのアドレスもリンクしてある。
odajimalexの方はより積極的にSHIFT Lab.サイト内に直接掲示し、BLOGとの相乗効果で情報の新鮮さをより高めようとの意図がある。
どんどんアップデートされ、目が離せない情報環境を構築する。
6:FACE BOOK
主に海外の友人知人とのネットワークや意見交換の場としてFACE BOOK のアカウントも利用している。
今のところはまだネットワーク構築途上で、ただただ人々との偶然の邂逅に興奮しているレベルにすぎない。
本格展開はこれからだが、英語(時にフランス語、日本語も・・)でのグローバル情報交換メディアを目指している。
さて、サイト全面リニューアルの機会に情報発信体系を整理してみただけなのだが、この順番が実は我々の発信装置の利用史の順番であることに気がついたのである。
そしてそこにコミュニケーション環境の質的変化も見て取れるのだ。
数字順の若いほど、準備期間、下調べ期間を長く必要とすることもよく分かる。
つまり数字が若いほど、計画的で戦略発想下の発信活動といえる。
類似の文献や参考文献を精査し吟味と推敲が繰り返される、手間のかかる作業が必要だ。
一方、TwitterやFACE BOOK 等のいわゆるソーシャルメディアへの参加に近づくにつれ、偶然性や触発性、あるいは突発的な事象へのすばやい反応が強いられる。
これらの新しいメディアは、周到な準備に支えられた「Planned」な発信に対して、「Spontaneous」な、いわば自然発生的な発信体系であることが見えてくる。
そしてここにこそ、いわゆるソーシャルメディアの本質が垣間見られるのである。
周到な準備などしている暇はないのだ。
情報の中身自体は少々間違っていても、即座に修正すればすむ世界だ。むしろ、やり取りから自然ににじみ出る人間としての姿勢や立ち位置、教養や経験の積み重ねなどの方が重要な情報になる。
ここでは、どこかの首相のように「そういった問題には疎いので・・」といった言い訳は通用しない。
なぜなら、人は本当に疎いかどうかとか、よく練られた回答を期待しているわけではまったくなく、その時の即座の反応に人間としての誠実さや、頭の回転の速さ、あるいは切り返しのユーモアのセンス等の等身大の人間力を評価しているにすぎないのだから。
ソーシャルメディアとは、まさにコモンセンスを共有しあい、評価しあう世界であり、その意味では実は新しくも何でもないということが見えてくる。
質的には我々のリアルタイムでの会話や交渉の現場となんら変わりはないのだ。
ただ、時間をおいてアクセスできることと、記録が残ることが大きい。まったくごまかしが利かないのである。
逆に、書きながら新しい概念を練り上げたり、長い孤高の時間の末に何かが創発されるというような言葉との格闘を楽しむことはできない。
結局、我々は今後も上記の情報メディアをすべて使いこなしてゆくことになる。
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